コラム

コタッキーがいく!③ 産直八百屋×ヨガ×デイで活路拓く

2019/03/08


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40歳を過ぎての起業へ

ライブドアのグループ企業であった弥生㈱を730億円でLBO (LeveragedBuyout=M&Aの形態の1つ。借入金を活用した企業買収)し、金融スキームとしては大成功と評価されたにもかかわらず、そのわずか1年後にはわれわれマネジメントチームは解散に追い込まれました。いまさらでもあり、その詳細は記しませんが、本当に辛い思いもしました。一方で、自分としてはもはや独立し起業することを前提に動き出すことを決意し、意外や心中スッキリしたものがあったのも事実のように思います。
「さて、これから何をやろう」。元来、自然や田舎が大好きでした。また、介護福祉士として働く母親の背中を見て育ったという原体験もあるので、介護の業界にも興味がありました。しかし長年、税理士の仕事や金融業界でキャリアを積んできたにもかかわらず、起業をするにあたり根っことなる「ビジネスモデル」については、具体的に何の武器ももっていない自分にも気づかされました。

野菜の引き売りと空手

さて独立はしたものの、すぐに何ができるわけでもありません。そこでとりあえず信州に住む農業生産者から無農薬の野菜を仕入れ、東京港区は麻布十番でリヤカーを使った「野菜の引き売り」からスタートすることとしました。実はその数年前より、週末の時間を活用して友人たちと「農村交流の会」を立ち上げていました。その紹介で長野県小諸市が2600坪の廃校と土地を売却したいという話に乗る形で、毎週末、そこに通って農作業を手伝い、夜は廃校を再利用したキャンプ場での宴会と交流会に勤しんでいたのです。そんなこともあり、わたしの独立に生産者の仲間たちは喜んでこだわりの無農薬野菜を提供してくれたのです。
ところが! これがなかなか思うように売れない! 連日、大根、キャベツが数十個単位で余り、自分の食事が野菜三昧となる日々。たまに運良く売上げが2万円くらいになったとしても、そんな日は調子に乗ってスタッフ連れてご飯を食べに行くと、お会計が1万9000円…(泣)。そんなことも少なくありませんでした。
しかし野菜を売るにしても、なぜ「引き売り」だったのか、疑問に思われるかもしれません。実は、この時期、わたしは空手の道場にも通い始めていました。自分が証券取引所でベンチャー企業の上場支援に携わり、「起業するということ」を間近に見るにつけ、これは生半可な気持ちでは絶対うまくいかないぞと実感していました。そんな厳しい起業を自分などができるのか? その不安と恐れを払拭するために、最初の1年間はあえて野菜の引き売りを実践してみよう、同時に道場に通い空手で心と体の精進に努めよう、それも継続できないようであれば、そもそも自分に起業して生活していくことなど無理に違いない。こう考えてどんどん自らを追い込んでいったのです。

八百屋×ヨガスタジオ

そして1年が過ぎ、ようやく目黒区内の商店街の空き店舗に9坪ながら「八百屋」を開業するまでにこぎつけました。そのとき、「タベルコト」だけではなく、「ウゴクコト」でも健康にこだわっていきたいと考えるなか、八百屋にヨガスタジオをくっつける日本初の「八百屋ヨガスタジオ」のモデルを思いついたのです。
仲間の生産者のこだわりの無農薬野菜を売り、ヨガレッスンを提供する本当に小さな店舗でしたが、スタッフとして「八百屋ヨガガール募集!」と銘打ったところ何と100人もの求人が集まりました。オープン当初、新聞にも取り上げられ、テレビの取材も入り、これはいけるはずと、このモデルによる店舗を田園調布、西小山、赤坂、池上、柏の葉と一気にふやしていったのでした。
そのなかで、お客様からの「ここでは介護保険は使えないの?」とのひと言から、池上のスタジオを「デイサービス」として登録することにしました。早速、介護に詳しい専門の作業療法士をスタッフに採用し、開設準備に入りました。ところが管轄の東京都に事前相談するも「八百屋が介護などありえない」となかなか認可がいただけない。何度も交渉を重ね、「制限付きでの認可」をいただき、日本初となる八百屋とヨガを組み合わせたデイサービス「東京マルシェ池上」をスタートさせたのが2013年のこと。
このデイでは、こだわり農家の旬の野菜を使った新鮮な野菜料理をランチで提供します。お米は北海道から「ゆめぴりか」、味噌汁は愛媛の麦味噌と長野の赤味噌を合わせて、煮干の出汁からつくる、宇和島では高齢者向けの「じゃこ天ボール」を開発する……などなど活発な動きを展開しました。しかし、介護保険制度は時とともにどんどん変わり、基本報酬も下がっていくなか、短時間のデイサービスはなかなか儲かるモデルになりません。金融時代はお金のプロであったはずなのに、当たり前の「商売」ができない日々に五臓六腑をよじりながら、もがき苦しむことになります。

10年間の赤字と倒産危機

この事業、恥ずかしながら正直に白状すると、創業以来10年間はずっと赤字でした。個人資産、他人から集めたお金併せて1億円ほどが使い果たされ消えていきました。そして、いよいよ預金も30万円を残すのみになるに至って、社員全員を集め、こう宣言したのです。「来月の給与が支払えなくなるかもしれない」と。1週間以内に、中核社員含めて社員の半分が辞表を出してきました。ところが、残った新人の社員2人が私に言ってきたのです。「社長、諦めないで、まだまだやりましょう!」。そんな時でした。友人の紹介で九州からとある上場会社のオーナーが東京マルシェの見学に来たのは。
その時のことは今でもはっきり覚えています。その社長が間寛平さんにそっくりだったからです。否、その彼から不思議なオーラが感じられたからです。
「で、あんたいくらあればこの事業継続できるんたい」「2000万円あればなんとかなるかと……」「なに、言うとるたい、そんな中途半端じゃ事業はだめじゃろ、2億出すたい」。その方と初めて出会ってあっと言う間、5分間の出来事でした。実は、「薬に頼らない本物の健康を」との理念のもと、まだまったく完成していない、ある新規事業を引っ下げ、ドラッグストアや調剤薬局の業界に狙いを定め上場会社へ資金調達のアプローチを開始していたのもタイミングが合いました。

転機となった「健幸TV」と保険外サービスガイドブック

こうして背水の陣で立ち上げた新規事業が「健幸TV」です。弊社の介護施設の中に「テレビ局」を立ち上げ、インターネットを通じ月額1万円で日本全国、過疎の村、離島へも弊社独自のこだわりの介護予防プログラムを配信するというもの。このビジネスモデルの可能性をいち早く認めてくれたのが、なんと経済産業省でした。私が講演したとあるセミナーで出会ったヘルスケア産業課の担当者K氏が、ある日、厚生労働省の担当官を連れて池上に現われ、「これは国にとっても必要な面白いビジネスモデルだ」と後押しをしてくれたのです。
もはや国にも社会保障費の財源に余裕はない、介護保険に頼らないビジネスモデルづくりが急務の課題になっているなか、16年3月、厚労省、経産省、総務省の3省が「介護保険外サービスガイドブック」という書籍を発刊し地方自治体に配布したのはご存じの読者も多いことと思います。ここには全国からこだわりの介護を行なう30の会社、事業モデルが選ばれ掲載されていますが、弊社のモデルもその1つにすべりこんだのです。
介護事業としての認可さえなかなか下りなかった時のことを振り返ると、まさに隔世の感でした。さらに『栄養と料理』女子栄養大学出版部)という老舗の雑誌で「日本一、食事にこだわるデイサービス」との称号までいただきました。今では、大企業や他施設からのコンサルティングの依頼も増え、営業利益率も20%近くにまで伸び、前述した投資をしてくれた東証一部上場の調剤薬局「なの花薬局」のグループにも入れていただき、何とかお金の心配をせず運営に専念できるようになりました。
 
この10年を振り返り思うのは、「この国のあるべき方向を読む」「本質を見誤らない」こと、これは介護業界に限らず大事なことだと思います。弊社自身、やっとスタートラインに立ったばかりではありますが、この連載では次号以降、介護業界の心ある仲間たちとこれからのあるべき経営の姿を語り合い、考えていきたいと思います。ご期待下さい。